みんなのGOTY

Game of the Year 2025
コジラ a.k.a スピニング東方不敗 さん
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
「あの頃の自分が、隣に座っていたんだ」 私のyourGOTY2025はドラゴンクエスト3HD2Dリメイクだ。 このサイトを見てる君には、原作ファミコン版も今回のリメイク版も、説明は要らないよね。 知らなかったなら検索しておくれ。 原作ファミコン版を遊んでいたのは、私が小学生低学年の頃。 兄のぼうけんのしょを消してしまって、しこたま怒られたのは一生忘れられない。 兄よゴメン。不幸な事故だったんだ。 だけどね、この素晴らしいリメイク版ドラクエ3を遊んでいて思い出したんだ! 当時、パーティのメンバーは身の回りの人の名前を付けるのが主流だった。 兄のパーティの戦士には私の名前。 私がバシルーラで飛ばされても迎えに行くことなく、そのまま冒険を続けていた兄を隣で見ていたら、仲間外れにされた様に感じて泣いてしまって、兄の部屋からつまみ出された事を思い出したり。 友だちと一緒に幽霊船さがしをしてて、幽霊船を見つけたケド怖くて少ししか探索出来なかった事を思い出したり。 隣の兄ちゃんが、私が歌っていると敵のエンカウント率が下がる気がすると言って、2人で歌いながらネクロゴンドを抜けた事を思い出したり。 こんな小さくて下らない思い出たちを、たくさん思い出しながらプレイした本作。 気がついたら、あの頃の自分が隣に座ってたんだ。 兄も、隣の兄ちゃんも、友だちも。 みんなで画面を覗いてたんだ。 楽しいね、ドラクエ面白いねって。 思い出話はこれくらいにします。 今作をプレイして、あの頃にタイムスリップ出来たのは、原作を大切にしつつ、遊び易くリメイクされているからだと思います。 リメイク版の良かった点をいくつか挙げてみます。 映像面の良かった所としては、まずはダンジョン。 キャラが松明を持っている様に描いてあり、自分の回りは明るく、遠くは少し暗く表現されています。 松明の明かりを頼りに進むダンジョンは臨場感があり、冒険の解像度を上げてくれました。 次に、戦闘画面。 味方側は、コマンド選択中に背中のみを表示するだけ。 味方がアニメーションしても、それは見ごたえがあって面白かったとは思いますが、敵のアニメーションだけにすることで、テンポ良くバトルする事が出来ました。 そして細かい所だけど凄く気に入ったのは、町やダンジョンの外観がキチンと描いてある事。 シャンパーニの塔にたどり着いた時、ファミコン版の内部マップや構造を思い出し、納得の外観に感動しました。 遊び易さもリメイクしてあります。 難易度設定で、戦闘不能にならない様に出来る様にしたのは英断だったと思います。 冒険は進めたいケド、レベル上げしてる時間なんて無いよ!って人は助かったと思います。 地味な事ではあるけれど、ルーラの移動先を、施設の中か外かを選べる所も、小さなストレスが無くなってて良かった点です。 書き足されたシナリオも最高でした。 行く先々で、父オルテガの物語を聞きながら旅を進め、そして父との再会…。 涙を拭いてプレイしました。 そして、大魔王を倒した後のエピローグは1&2の期待を非常に高めてくれました。 幼い頃の思い出と共に、世界を股にかけ大冒険したドラクエ3リメイク版を、私のyourGOTY2025に選びます。 忘れてしまっていた沢山の事を思い出させてくれて、本当にありがとうございました。 子どもの頃の私も、今の私も大満足の作品でした。
Game of the Year 2025
ジョン@営農とサブカル さん
DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH
<<このレビューには本作のネタバレが含まれています>> 「デスストランディング2 オン・ザ・ビーチ」は、プリミティブな労働の喜びに満ち溢れた「はたらくおじさん」のためのゲームだ。 本作は、デス・ストランディングという現象に覆われた世界で、BTと呼ばれる化け物や武装集団が跋扈する危険地帯を横断し、A地点からB地点へひたすら荷物を運ぶ—という、世にも珍しい「労働」をテーマにしたゲームである。 前作でアメリカ大陸をカイラル通信網でつないだ主人公サム・ポーター・ブリッジズは、ブリッジベイビーだった「ルー」と家族になり、穏やかな日々を送っていた。しかし新たな依頼を受けてルーを家に残しているときに、彼女はサムを狙った襲撃に巻き込まれ命を落とす。深い喪失を抱えたサムは、その傷を癒すためにオーストラリア大陸をつなぐ旅へと向かう——本作はここから幕を開ける。 本作が前作と変わらず面白いのは、資本主義経済と切り離されたプリミティブな労働の喜びがあるからだ。 本作のなかでは徹底して貨幣経済と切り離された世界が描かれている。プレイヤーが受け取るのは「いいね」という承認だけ。それは無限に送り合うことができ、アイテムと交換ができるわけでもない。 だが、だからこそこのゲームは働くことの純粋な喜びを提示できている。自分が作った橋や道路を他のプレイヤーが使い、「いいね」が送られてくる。誰かの役に立っている実感、社会とつながっている感覚——現実世界では貨幣経済やその他の要因によって希薄化してしまったこれらの感情を、本作は変わらず与えてくれる。 前作よりも複雑化したコース、カイラルクリーチャー、道中頻発するトラブル、大配送など配送のバリエーションもかなり増えている。 カール・マルクスの疎外論によれば、資本主義社会では労働者は自分が作った生産物からも、労働行為そのものからも切り離されてしまう。 本作で「なわ」と表現される「つながり」がもたらすのは「疎外」を受けない本来の労働だ。資本主義経済における「生産性」とは無縁のゲームという空間において、何かと格差を感じることも、何かに搾取されることもなく、働くことで、労働が本来持っていたはずの喜びを得ることができる。 昭和・平成を生きてきた「はたらくおじさん」たちが夢中でやっていた労働には、本来、こうした素朴な承認があったのではないだろうか。 小島秀夫監督が60代であることを考えれば当然かもしれないが、本作で描かれるストーリーは昭和・平成の価値観で働いてきた男性たちの物語なのだろう。 象徴的なのは、ルーという存在の扱いだ。ゲーム冒頭で彼女は命を落とし、物語から退場することになる。 輸送船DHVマゼランという「イエ」が常に同行する本作において、ルーを連れて旅をする描き方もあったはずだ。ルーを殺さずとも、彼女をダシにサムがずっと旅をし、仕事の合間にルーの世話をしたり、病気になった彼女のために抗生物質を探したり、そんなふうに描くことだってできたのではないか。もし小島秀夫監督が令和のはたらくおじさんであったなら、そうした「仕事と育児の両立」を描いていたのではないだろうか。 だがルーが育つ過程は意図的に省略されている。これは家族を顧みず仕事に没頭してきた世代が、子どもの成長を日常的に見守る経験を持たなかったことの表れのように思う。彼らにとって子どもの記憶とは、生まれた1年間くらいの乳幼児期と、大きくなって言葉を話せるようになった青年期くらいしか鮮明に残っていないのではないか。 また、本作では妻の不貞という要素も描かれる。サムと対峙することになる謎の男ニール・バナはサムの妻と不貞関係にあったと疑われるシーンが多くある。仕事に没頭して家族をないがしろにし、その家族が不貞に走る——そしてそれを止める資格が自分にあるのか悩む。この描写もまた、働くことにすべてを捧げた世代固有の苦悩のように思う。「課長島耕作」や「黄昏流星群」を彷彿とさせる展開だ。 そんな世代が傷ついた己を癒すのは何かといえば、「仕事」なのだ。 サムの周りにはドールマンやフラジャイルといった、彼をケアしようとする人々がいる。だが彼は、その直接的なケアを受け取ることができない。ひたすら仕事に打ち込み、その過程でようやくケアされていることに気づき、傷と向き合っていく——この構造そのものが、昭和・平成的な働くおじさんの生き方を象徴しているように思う。 令和を生きる働く父親である私にとって、こうした生き方はもはや許されない。家族をケアしながら働き、自分の傷も仕事以外の方法で癒さなければならない時代だ。 本作が描くのは、もう戻れない時代の労働だ。仕事に没頭し、それで心を癒すことが許された時代。家族を顧みなくても、それが「男の生き方」として容認された時代。 私たちはもうその時代には戻れないし、戻るべきでもない。だが、ゲームの中でなら、その時代の労働を追体験できる。それは郷愁かもしれないが、同時に、失われた何かへの哀悼でもあるのだ。
Game of the Year 2025
ホシカゲ@リディル鯖(幻想薬の使い手) さん
ウィザードリィ外伝 五つの試練
ダンジョンゲームといえばウィザードリィシリーズだと勝手に思っています。このゲーム自体はかなり前に発売されましたが、ユーザーが作ったシナリオを遊ぶことが出来るのが強みになるでしょう。(その代わりにシナリオを作るのは大変ですが…)
Game of the Year 2025
シュナイダー さん
サガ フロンティア2 リマスター
私は奇声をあげた。 子供の頃にディスクの裏面が擦れて真っ白になるまで遊んだあのRPGが、現代のハードでまた遊べるなんて。 リマスターが発表された瞬間の私は産まれた赤子のように泣きじゃくり、顔は老人の安らかな最期のようであった。 生と死を内包する、いわばビッグバンと呼ぶに相応しい姿だったのかもしれない。 サガフロンティア2には 2つのゲームが入っているのをご存知だろうか。 「ギュスターヴ13世」と 「ウィルナイツ」である。 ギュスターヴ13世から説明させて欲しい。ギュスターヴ13世とは何か。 大河ドラマでも、銀河英雄伝説でも、ガンダムでもいい。 あなたの人生で一番だと思った巨編を思い浮かべて欲しい。 それがギュスターヴ13世なのだ。 いま貴方が思い浮かべた好きで好きで堪らない物語。そこにでてくる人々に対して貴方は様々な思いを抱いたであろう。 賛同、拒絶、尊敬、畏怖、その他もろもろ。 それをもう一度、やるのだ。 ここでサプライズ。ネタバレをしよう。 ギュスターヴ13世は産まれる。そして死ぬ。彼には仲間がいる。そいつらも死ぬ。 女が出てくる。死ぬ。家族も出てくる。死ぬ。ライバルがいる。死ぬ。 そう、ごくごく自然なことだ。我々はいつか死ぬのだから。 このゲーム、結果は全て見えている。 「もしも」はない。 我々はこのゲームという歴史の中で生きた人々に立ち会うことだけ。 ギュスターヴ13世の波乱に満ちた人生や、周りの人間たちの美しくも醜い、感情。 それらを真正面から受け止め、咀嚼せねばならない。 それがギュスターヴ13世なのだ。 変わってウィルナイツ。このゲームは何か。 彼もまた歴史の中の1人だ。 先程のギュスターヴ13世が「感情との対峙」であるならば。 ウィルナイツは「希望」である。 なぜか。 彼の人生だけは「ネタバレ」がされていないからだ。 ウィルナイツは死ぬの? 周りの人間は? ライバルは?ヒロインは? ギュスターヴ13世との関係は? 自分から言えることは何も無い。 そしてゲームを始めるにあたって、貴方にはある選択をしてもらうことになる。 それはゲームそのもの変えてしまう、大きな大きな決断だ。 紹介したふたつのゲームを、どちらから、どうやって進めるのか? 全ての歴史を理解した上でウィルナイツという希望を読み解くのか。 未知の大陸に身を投じ、その都度やってくる歴史の門を力いっぱい開くのか。 この世界の「サガ」はたった今、 貴方に委ねられた。
Game of the Year 2025
sa🧂kana さん
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド Switch2Edition
今から8年前 結婚をして夫の住んでいた街に移り住み 中古ゲームショップで限定版パッケージが売られていたのを見つけました。Switchは買ったばかりでマリオオデッセイをマリオとキャッピーとしてプレイ中。 ゼルダのシリーズは子供の頃、64でムジュラの仮面を遊んだきり。 迷ったものの、次にお店に来て無かったとしたら後悔するよと夫に背中を押されて買いました。 夫とすっかり夢中になってそれぞれ遊んで新婚旅行で行ったグアムですら『あの山、登れそうだね』『あそこからパラセールで降りれそう』『宝箱隠れてそう』とすっかりブレワイ脳になったのを今でも覚えています。 その頃から私のプレイスタイルは、風の向くまま気の向くまま。その日に気になった所へ駆けていき(馬は使わない)自然の美しさに心打たれ、戦争の爪痕に想いを馳せ、土地に住んでいる人達との交流に心を寄せる。要するに攻略する気がない遊び方をしていました。 だって、神獣デカいし。ガノン怖いし。 ライネルだって怖い。死にたくない。モルドラジークの倒し方分かんない。ゲームオーバーの字を見たくない。死にそうになったらロードする。ワープもじゃんじゃんする。 他のゲームに飽きたらニューゲームで100年の眠りから蘇り、しばらく遊んではまた、別のゲームに浮気する。そしてまた風来坊リンクとして旅立つ。始まりの台地でっけぇ~!! そして2025年 NintendoSwitch2が発売されゼルダの伝説ブレスオブザワイルドSwitch2Editionが出たのです。 この頃には、『ブレワイは私にとってオールタイムベスト。一生遊ぶと思う。クリアはする必要はないと思ってる』と周りに話すようになっていました。 てか、今でも思ってます。一生遊べるくらいのコログのかくれんぼに宝探し。各地に散りばめられたミニゲームの数々。試練の祠の謎解き。ずっとずっと遊べるし、同じところを何回通っても同じじゃない。時間や天候によって全然違うハイラルの世界。うるさくないちょうどいいBGMと環境音。最高。 今年、ゲーム実況でブレワイを観ました。とても面白く、更新を心待ちにして最後には涙するくらい。 そこで『私には"ゼルダ姫を救う使命"への覚悟がない!!』と気付いたのです。 何ということでしょう。100年の眠りから目覚めさせてくれたあの声も、インパの話も私には全く届いて居なかった。この8年!!いや違う。108年だ。何してたんだ? さて。。では私はブレワイをクリアしたのか?答えは否である。 今は初めての神獣を解放するために奮闘している。カースガノンめっちゃ怖い。夢に出てきそう。 相変わらず。道草は食っている時もあるが。 これまでの目的もなく放浪の旅に出ていた時に比べると、1日ずつの目標を決めて遊びの密度を上げれるようになってきた。美味しい物を少しずつ味わって食べてる気分。そんな遊び方も出来るのか。このゲームすげぇ。まだ知らないストーリーや体験。いっぱい感動させてくる。 やっぱり死にたくないけど、自分の行動が上手くいかなくって死んでしまった時の次に繋げようと奮闘する時間が尊い。 普段はアクションゲームは苦手なのだが、基本の動きをしっかり意識すればパリィやラッシュも何とか行えるし、そこらじゅうにボコブリンが生活しているので腕が鈍ることはない。体力が心配ならハートの器を克服の証で補充することもできるし、走って逃げがちならがんばりの器に変えればいい。料理や薬の力もしっかり借りる。 アップグレードしたことでロードが早く気持ちが途切れず遊べるし、携帯モードでの映像の美しさは、すでにクリアした人にも一度実際に見て欲しい。 年内にクリアは正直難しいかもしれない。それでも、この8年間で蓄積してきたブレワイ好きだなの気持ちと、英傑たちや生き残った末裔たちとの関わりが自分の中で成熟したとても貴重な経験をさせてくれている。
Game of the Year 2025
しょこω北乃勝 さん
オクトパストラベラー2
オクトパストラベラー2 HD2Dの名作RPGの第二弾ですね。 物語は8人の主人公のそれぞれの人生を描く群像劇です。 剣士ヒカリ 戦国時代の横暴な兄弟との跡目争い 盗賊ソローネ 盗賊団の跡目争に巻き込まれたよ的な 踊り子アグネア スターを夢見る田舎娘の連続テレビ小説 商人パルテティオ 商人の父親が友人に騙されて貧乏人に、、 審問官テメノス 教皇殺害の犯人を捜す教団の審問官 学者オズバルド ライバル学者に家族を殺され復讐劇の旅へ 狩人オーシュット 世界を旅して神モンスターを探してクレメンス 薬師キャスティ 病人を救いつつ、自身の記憶喪失の謎を解く旅 筆者は主人公を聖火教の審問官テメノスでスタートしたんですが、 謎解きのシーンになると、一人の世界になってちょっと古畑任三郎ちっくになるのも面白かったですね。 各主人公が章立てで物語が語られて、どのストーリーも秀逸なんですよ。そして複雑に絡み合う点と線。あのキャラこんなに重要だったのかとか、こいつ裏でこんなことしてたのかとか、最後に分からせられてしまいますぅ。 バトルは前作同様 おじさんが大好きオーソドックスなターン制コマンドバトルで 本ip特徴の、全ての敵に弱点が設定されていて、その弱点を突くとシールドポイントが削れてピヨピヨ状態に出来るので、敵が大技くりだす手前で止めたり、ダメージを沢山いれるチャンスを作りドッカーンできもちいeeeeeeってなるのです。 あと、ブーストポイントをうまく使ってターンを増やしたりし 底力というリミットブレイクてきな技が使えたり 状態異常やバフも管理が大切だったり メインジョブ+サブジョブの組み合わせで、立ち回りがいろいろ工夫できたり、戦闘も爽快感あって雑魚戦やレベル上げも凄く楽しいです。 また、キャラ同志の声の掛け合いもキャラが映えてよかったですね^^ 各キャラで設定されているフィールドコマンドも、昼夜で違って NPCからものを盗んだり、説得したり、一時的な仲間にしたり。。 どの場面でもギミックが有って、そのすべてが戦闘に影響するアイテムだったりNPCだったりが有って、頑張りごたえが有るので夢中になってしまいます。 画面の画も前作よりもパワーアップしており、背景の奥までこだわっていて(動物がいたり、森林が遠くまで書き込まれていたり)ディテールの深度が深まっていましたね。 そして、最高なのがBGMです。各シーンで盛り上がる音楽が最高で、シーン毎必ず一周してBGMを聞いてしまいます。なんならゲームをしていない日常生活でもBGMをながして聞いてしまいました。 と 今年はこんなにドはまりした オクトパストラベラー2を推していきたいと思います。
Game of the Year 2025
ライチ さん
SILENT HILL f
・次第に混ざりゆく世界と自他...この雛子は誰? サイレントヒルfは外伝的な立ち位置として日本を舞台とした作品。 サイレントヒルシリーズは毎度身近な住宅街が非日常に飲まれていく描写が禍々しくも美しい。原風景がひずみゆがんでいく様子は嫌悪感を引き出しつつも、心のどこかに潜んでいる破滅願望を満たさんとする美を併せ持っており、ホラーが苦手な自分が唯一自分から遊びたいと積極的に思う(でも当然ビビり倒す)作品であるため今作も意気揚々とプレイしたのである。 (なお今作は周回プレイが前提と思われる作品であるが自分はまだ2週目の途中であり、ストーリーの感想は現時点でのものである) 今作はアクション難度が高めとの前情報を聞いていたが、サイレントヒルのファンとして難易度は“難関”でプレイすることにした。 外伝的な今作では町が霧に包まれた表世界と謎の神社仏閣の裏世界を行き来することとなる。これまでの作品では同じ場所だが様相が違うという表現だったのに対して表世界と裏世界が完全に異なる点に違和感を感じたり、ストーリーとしても今回は生き残ること以外の目的が示されず、「これはサイレントヒルなのか?」と頭の片隅で思いつつプレイしていた。 しかし、かなり個人的な理由なのだがその違和感をねじ伏せる感情が大部分を通してあった。 怒りである。 ある敵がとにかく 強い 強すぎる。 それは這いつくばりながら襲ってくる、犬っぽさのある敵なのだが、まずモーションが強い。腕を振り上げる攻撃のリーチがものすごい。身長以上の間をとっていてもグッとふみこんできて爪先がビュッとかすめる。かなり痛い。しかもそれで終わらずコンボが決まる。下手すると難易度もあってそのまま即死する。 さらに今作は昭和の町が舞台なので、これまでの海外のような広く整った道ではなく、狭い路地裏で乱雑に置かれた箱などが邪魔。そのため、よけようとしても壁や物にすぐに引っかかりタコ殴りに... なんだそれ...卑劣な奴め...そっちは捨て身でかかれるけどこっちはやられたらだいぶ前のセーブポイントからやりなおされるんだぞ... ゆ゛る゛せ゛ん゛!!! そして恐ろしいことにこの犬男(勝手に命名)はあろうことか雑魚敵。いたるところに出てくるのである。しかも、曲がり角から、後ろから、挙句の果てに犬男2人で挟み撃ち。 あまりにもひどい仕打ちにプレイ中に出てくるたびに「また出たな?!許さん!!」と怒りの感情を爆発させながら死闘を繰り広げるようになってしまった。 しかし、偶然なのだがそれが一つの不思議な感覚を生むようになったのだ。それは雛子の立ち位置が曖昧になっているという感覚である。 本作は主人公である雛子がプレイ中もよくしゃべるのだが、物語が進むにつれ、倒した敵に怒りの言葉をぶつけるようになるのである。まさに自分の言葉を代弁しているのである。”相棒”という表現がゲーム内で多分に出てくるのだが、雛子がまさに自分の相棒のように一緒にいてくれている感覚があり、プレイするモチベーションをものすごく支えてくれていた。 しかし、自分の怒りを雛子が直接敵にぶつけている、そのシンクロ感が次第にまるで雛子が元々自分のアバターとして作ったものであるようにも感じさせてくる。雛子は雛子の考えがあって行動しているはず。でも戦闘は自分のスタイルで動いている。ならこの怒りは誰の怒り…? 通常主人公が確固とした自我を持っている場合、プレイヤーはそれを見守るもしくは導く第三者というスタンスでプレイをすると思われるが、この作品の場合は違った。ふと気づくと自分は雛子として敵と向き合い、倒した時には心からセリフを吐き捨てているのであった。それではそこにいるのは雛子なのだろうか...それとも自分がいるのだろうか...? ネタバレになるため深くは語らないが、思いがけずもこの不安定な心理状況はストーリーの根幹にもつながる部分があったと感じている。1週目をクリアしたときには誰に自分を重ねていたのかと非常に印象に残ったのである。そして、冒頭に述べた違和感も終盤で意味を持ち始め、個人の結論として 「これは、確かにサイレントヒルだった...」 と思ったのであった。偶然も含めて全部がサイレントヒルに収束したのである。もうこれは My GOTY 決定だ。 毎回人間の内面を深いところまで切り出してくるサイレントヒルシリーズの最新作だが、今作も非常に満足感のあるものだった。自分特有の経験もあったもののストーリー単体でも終盤の展開には引き込まれるものがあった今作は、間違いなく今年のMy GOTYである。 念のため断ると当然難易度を変えることでスムーズにゲームを進められるので初心者も安心してほしい。ストーリーの良さについて今回あまり伝えられていないが、なぜ雛子がこんなふうに変わっていったのか、精神と感情を揺さぶってくる今作が気になった方はぜひプレイしてみてほしい。そんな重厚さを持つ素晴らしい一作だった。
Game of the Year 2025
まなかじゅんぺい さん
ELDEN RING NIGHTREIGN - Deluxe Upgrade Pack
(一部AIの支援を受けて書いています) 例年、その年に発売されるゲームが一通り揃ってくると、私は今年遊ぶゲームの計画を立てる。 2025年も、年初に完璧な計画を立てた。 待望の続編がいくつも控えており、例年になく充実した“ゲーム豊作の年”になる──そう信じて疑わなかった。 デスストランディング2、Ghost of Yotei、そして積みっぱなしの名作たち。 すべてのタイトルにおおまかなスケジュールを割り振り、「今年は計画的に遊び切るぞ」と意気込んでいた。 ……しかし、その計画はある一本のゲームによって跡形もなく崩壊する。 その名は、『エルデンリング ナイトレイン』。 そして後に追い打ちをかけるように登場するDLC “Forsaken Hollows”。 これが、2025年の私のゲーム人生を完全に狂わせた。 ■ 一度触ったら抜け出せない“夜”の中毒性 ナイトレインは、とにかく中毒性がえげつない。 気づいたら「あと1回だけ…」が朝になってるタイプのゲームだ。 中でも忘れられないのが、見ず知らずの人との無言の連携プレイ。 通常のプレイではマップへのピン刺しと即座には使えないジェスチャーという限られたコミュニケーションだけで、 • 「ここはこう動こう」 • 「あのボスは一旦撤退しよう」 • 「次はこう仕掛けよう」 みたいな戦略が自然に共有されていく瞬間がある。 その“意思疎通できてしまう魔法”みたいな体験が、ナイトレインの魅力を何倍にもしてくれた。 そして迎えた最終夜。 ギリギリの攻防の末、見知らぬ仲間と大ボスを倒した瞬間のあの達成感……。 本編のエルデンリングで何十回とやられた末にボスを倒した時と同じ、いやそれ以上かもしれない満足感があった。 ⸻ ■ 人生初、Discordでの「見知らぬ誰かとボイチャ」体験 正直、今までマルチプレイにはほとんど触れてこなかった。 でも、ナイトレインをきっかけに初めてDiscordサーバーに参加して、知らない人たちとボイスチャットをしながら協力プレイをした。 これがもう……楽しすぎた。 「なんで今までやってこなかったんだ俺…!」と本気で後悔したくらい、ゲーム体験の幅が一気に広がった。 PlayStationやDiscordって、こんなに世界を広げてくれるんだ。 ⸻ ■ 完璧すぎるコンテンツ供給サイクルに人生が持っていかれる さらに恐ろしいのが、コンテンツの投下速度が完璧だということ。 • ボスを倒し切った頃に強化ボス、常夜の王が追加 • 常夜の王を倒し切った頃に “深き夜” のレート戦が開放 • 深き夜を登りきった頃……いや、登りきれなかったけど… • 気づけばDLC『Forsaken Hollows』が来ていた ……そして私は、発売からずっとナイトレインをやり続けることになったわけだ。 他のゲームを買ったり、やりかけたデスストに戻ろうとしたりもしたが、気づけばまた夜に戻ってしまう。 ほんとに一年中、夜に囚われっぱなしでした。 ⸻ ■ 結論:今年、私のゲーム人生を奪ったのは間違いなくこれ エルデンリング ナイトレインは、私にとっては、 • マルチプレイの楽しさに目覚めた原点であり • 見知らぬ仲間とのドラマを生んだフィールドであり • 予定していたあらゆるゲームを吹き飛ばした怪物 でした。 気づけば一年を丸ごと持っていかれる覚悟は必要だが、 「今年一番、誰かに勧めたいゲームは?」と聞かれたら、迷わずこれを挙げる。 どうかあなたも“深き夜”に足を踏み入れてみては? そこには、忘れられない体験が待っている。
Game of the Year 2025
ゆきぼう さん
カオスゼロナイトメア
2017年に早期アクセスが開始され、2019年に正式リリースされたデッキ構築ローグライクカードゲームの傑作、Slay the Spireは元を辿れば1995年リリースのボードゲームの金字塔「カタン」の系譜を継ぐ(直接的には「ドミニオン」でもある)ものである。そして、この「カオスゼロナイトメア」は、そんなSlay the Spireをベースに、よくあるソーシャルゲームの要素を付け加えたゲームである。 と、「なんだソシャゲか」と侮ることなかれ。ベース部分はSlay the Spireだが、キャッチーなキャラクターデザイン、カードイラスト、ホヨバース作品とほぼ同じガチャシステム、そしてクトゥルフ神話ライクな世界観をないまぜにしてまさにカオス化した結果、類稀なる傑作に仕上がっているのだ。 まずこのゲームの褒められるべき点として、キャラクターの行動ソースであるカードを厳選するためのステージである「カオス」の周回を、スタミナの概念なしでできるようにしたことが挙げられる。 少しわかりやすく説明しよう。 このゲームには多くのキャラクターが存在し、ストーリーで獲得できる一部の星4キャラクター以外はガチャを回して獲得することになる。キャラクターはそれぞれ固有のスキルを使えるカードを持っており、強いカードもあれば使いにくいカードもある。これらを取捨選択してデッキを最適化するためのステージが「カオス」という場所なのだ。このカオスに入り、Slay the Spireと同じようにマスを進むごとにカードを増やしたり削除したり、ロマンシングサガのようにヒラメキを経てカードが強化されたりを繰り返して、最終的にその状態を「セーブデータ」に格納し、各種エンドコンテンツに挑むために活用する。こういったセーブデータ作成がメインコンテンツであるゲームは多く存在し、同時期にリリースされたヨースターの「ステラソラ」も同じような仕様ではあるが、デッキ構築の過程は本作の方が直感的でわかりやすい。さらにレアリティが高いキャラクターが絶対的にわかりやすく強いわけでもなく、カードのシナジーがうまく組み合わさった時には星4キャラクターでも十分に強いし、なんなら星5にも引けを取らないどころか恐ろしいほどの火力を発揮するパーティーも構築できてしまうこともある。これがまた楽しい。 世界観にクトゥルフ神話要素があると先に述べたが、シナリオがおどろおどろしいだけではなく、きちんとゲームサイクルに組み込まれているのも面白かった。いわゆるSAN値のようなものが貯まるとキャラクターは精神崩壊してしまうのだが、パーティ全員(3人)が崩壊してしまうといくらHPが残っていようが全滅扱いとなってしまう。とはいえ、全員崩壊しても行動は出来るので、その後にとどめを食らう前に敵を倒し切ってしまえば戦闘に勝利することは可能だ。ただ、その状態でカオスを踏破するのは極めて困難であり、要はキャラクターをいかに精神崩壊させずに立ち回るか、あるいは崩壊してしまったら、全滅する前にいかに個々のキャラクターを回復させるかが重要になる。不幸にも全滅してしまったり、一定条件を満たしてしまうと無事にクリアしたとしてもキャラクターには入院が必要なほどの後遺症が残る。そして、プレーヤーはそのキャラクターたちを限られたリソース(コミュニケーションパスという)を使ってカウンセリングするか、あるいはお金を払って記憶を消去して何も起きなかったことにするかの二択を迫られるのだ。なんと冒涜的で名状しがたいゲームなのだろう。 長々と語ってしまったが、このゲームの魅力はこんな文章では到底伝えきれない。確かに画面を見るとSlay the Spireじゃないかと言いたくなってしまうのだが、色々な要素を組み合わせたことと、クトゥルフ神話の終末的なスパイスが混じり合い、奇跡的な輝きを見せているのが本作なのだ。 もう一度言おう。ソシャゲだからと侮ることなかれ。
Game of the Year 2025
銀麦 さん
ELDEN RING NIGHTREIGN
フロムの新作が出るらしい。 エルデンリングの派生作品らしい。 マルチプレイがメインのゲームらしい。 大きな期待はしていなかったと思う。 ただ漠然と、もはやお布施のような気持ちで購入ボタンを押していた。 自ら進んで情報を仕入れることもなく、発売日を迎えた。 日付が変わると同時にゲームを起動し、フレンドと出撃する。 何もわからないまま、敗北する3人の姿がそこにはあった。 この瞬間から、俺の心は夜に囚われてしまったのだと思う。 一ヶ月経っても、期待していなかったはずのゲームは、俺の心の中心に居座り続けていた。 一通りのボスを倒せるようになり、一旦の落ち着きを得た頃、強化ボスが実装された。寝れなくなった。 何度か、モニターに反射する朝日で目を眩ませたが、すべての強化ボスを撃破した。 ふぅ、ようやく終わりか。 新難易度が実装された。 また、眠れなくなった。 新難易度ではレート制が実装された。 挑む、負ける、ギスギスする。腹を下しそうな三角食べを繰り返しながら、ようやく目標のレートまで駆け上がった。 ようやく寝れる。 DLCが実装された。 俺の夜は、終わらない。