あなたはこのゲームからどんなことを受け取っただろうか。
この「ダレカレ」は不思議なゲームだ。名前を設定しようとしても文字が入らない。現実では簡単にできることがゲームの中では全くできずに不自由さを感じさせる。本来ゲームというものは現実にはできない体験が味わえ、プレイしている人間に快感を与えてくれる、そういうものではなかったろうか。その真逆をいくダレカレで私はゲームの新しい可能性を見た。
プレイした人には分かる通り、ダレカレは認知症患者とそのパートナーを描いたゲームだ。だからこそ序盤での不自由さを感じさせる演出には大きな意味がある。自分の指で操作し、その結果が思い通りにならないという挫折を味わう。患者になりきって体験することによって、それをよりリアルなものとして受け取る。これは「見る」だけの映画や「読む」だけの本では味わえない。当事者としての「体験」こそがゲームという媒体の真骨頂だ。
受動的なコンテンツよりも、深く意識に訴えかけてくる体験は現実で患者と向き合った際の心の持ちようすら変えてしまう力がある。ひとりの人間の価値観の変容、人生の分岐点になり得る一作。そこに、私はゲームという表現のさらなる可能性を見た。