みんなのGOTY(Game of the Year 2025)

Game of the Year 2025
シュナイダー さん
サガ フロンティア2 リマスター
私は奇声をあげた。 子供の頃にディスクの裏面が擦れて真っ白になるまで遊んだあのRPGが、現代のハードでまた遊べるなんて。 リマスターが発表された瞬間の私は産まれた赤子のように泣きじゃくり、顔は老人の安らかな最期のようであった。 生と死を内包する、いわばビッグバンと呼ぶに相応しい姿だったのかもしれない。 サガフロンティア2には 2つのゲームが入っているのをご存知だろうか。 「ギュスターヴ13世」と 「ウィルナイツ」である。 ギュスターヴ13世から説明させて欲しい。ギュスターヴ13世とは何か。 大河ドラマでも、銀河英雄伝説でも、ガンダムでもいい。 あなたの人生で一番だと思った巨編を思い浮かべて欲しい。 それがギュスターヴ13世なのだ。 いま貴方が思い浮かべた好きで好きで堪らない物語。そこにでてくる人々に対して貴方は様々な思いを抱いたであろう。 賛同、拒絶、尊敬、畏怖、その他もろもろ。 それをもう一度、やるのだ。 ここでサプライズ。ネタバレをしよう。 ギュスターヴ13世は産まれる。そして死ぬ。彼には仲間がいる。そいつらも死ぬ。 女が出てくる。死ぬ。家族も出てくる。死ぬ。ライバルがいる。死ぬ。 そう、ごくごく自然なことだ。我々はいつか死ぬのだから。 このゲーム、結果は全て見えている。 「もしも」はない。 我々はこのゲームという歴史の中で生きた人々に立ち会うことだけ。 ギュスターヴ13世の波乱に満ちた人生や、周りの人間たちの美しくも醜い、感情。 それらを真正面から受け止め、咀嚼せねばならない。 それがギュスターヴ13世なのだ。 変わってウィルナイツ。このゲームは何か。 彼もまた歴史の中の1人だ。 先程のギュスターヴ13世が「感情との対峙」であるならば。 ウィルナイツは「希望」である。 なぜか。 彼の人生だけは「ネタバレ」がされていないからだ。 ウィルナイツは死ぬの? 周りの人間は? ライバルは?ヒロインは? ギュスターヴ13世との関係は? 自分から言えることは何も無い。 そしてゲームを始めるにあたって、貴方にはある選択をしてもらうことになる。 それはゲームそのもの変えてしまう、大きな大きな決断だ。 紹介したふたつのゲームを、どちらから、どうやって進めるのか? 全ての歴史を理解した上でウィルナイツという希望を読み解くのか。 未知の大陸に身を投じ、その都度やってくる歴史の門を力いっぱい開くのか。 この世界の「サガ」はたった今、 貴方に委ねられた。
Game of the Year 2025
sa🧂kana さん
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド Switch2Edition
今から8年前 結婚をして夫の住んでいた街に移り住み 中古ゲームショップで限定版パッケージが売られていたのを見つけました。Switchは買ったばかりでマリオオデッセイをマリオとキャッピーとしてプレイ中。 ゼルダのシリーズは子供の頃、64でムジュラの仮面を遊んだきり。 迷ったものの、次にお店に来て無かったとしたら後悔するよと夫に背中を押されて買いました。 夫とすっかり夢中になってそれぞれ遊んで新婚旅行で行ったグアムですら『あの山、登れそうだね』『あそこからパラセールで降りれそう』『宝箱隠れてそう』とすっかりブレワイ脳になったのを今でも覚えています。 その頃から私のプレイスタイルは、風の向くまま気の向くまま。その日に気になった所へ駆けていき(馬は使わない)自然の美しさに心打たれ、戦争の爪痕に想いを馳せ、土地に住んでいる人達との交流に心を寄せる。要するに攻略する気がない遊び方をしていました。 だって、神獣デカいし。ガノン怖いし。 ライネルだって怖い。死にたくない。モルドラジークの倒し方分かんない。ゲームオーバーの字を見たくない。死にそうになったらロードする。ワープもじゃんじゃんする。 他のゲームに飽きたらニューゲームで100年の眠りから蘇り、しばらく遊んではまた、別のゲームに浮気する。そしてまた風来坊リンクとして旅立つ。始まりの台地でっけぇ~!! そして2025年 NintendoSwitch2が発売されゼルダの伝説ブレスオブザワイルドSwitch2Editionが出たのです。 この頃には、『ブレワイは私にとってオールタイムベスト。一生遊ぶと思う。クリアはする必要はないと思ってる』と周りに話すようになっていました。 てか、今でも思ってます。一生遊べるくらいのコログのかくれんぼに宝探し。各地に散りばめられたミニゲームの数々。試練の祠の謎解き。ずっとずっと遊べるし、同じところを何回通っても同じじゃない。時間や天候によって全然違うハイラルの世界。うるさくないちょうどいいBGMと環境音。最高。 今年、ゲーム実況でブレワイを観ました。とても面白く、更新を心待ちにして最後には涙するくらい。 そこで『私には"ゼルダ姫を救う使命"への覚悟がない!!』と気付いたのです。 何ということでしょう。100年の眠りから目覚めさせてくれたあの声も、インパの話も私には全く届いて居なかった。この8年!!いや違う。108年だ。何してたんだ? さて。。では私はブレワイをクリアしたのか?答えは否である。 今は初めての神獣を解放するために奮闘している。カースガノンめっちゃ怖い。夢に出てきそう。 相変わらず。道草は食っている時もあるが。 これまでの目的もなく放浪の旅に出ていた時に比べると、1日ずつの目標を決めて遊びの密度を上げれるようになってきた。美味しい物を少しずつ味わって食べてる気分。そんな遊び方も出来るのか。このゲームすげぇ。まだ知らないストーリーや体験。いっぱい感動させてくる。 やっぱり死にたくないけど、自分の行動が上手くいかなくって死んでしまった時の次に繋げようと奮闘する時間が尊い。 普段はアクションゲームは苦手なのだが、基本の動きをしっかり意識すればパリィやラッシュも何とか行えるし、そこらじゅうにボコブリンが生活しているので腕が鈍ることはない。体力が心配ならハートの器を克服の証で補充することもできるし、走って逃げがちならがんばりの器に変えればいい。料理や薬の力もしっかり借りる。 アップグレードしたことでロードが早く気持ちが途切れず遊べるし、携帯モードでの映像の美しさは、すでにクリアした人にも一度実際に見て欲しい。 年内にクリアは正直難しいかもしれない。それでも、この8年間で蓄積してきたブレワイ好きだなの気持ちと、英傑たちや生き残った末裔たちとの関わりが自分の中で成熟したとても貴重な経験をさせてくれている。
Game of the Year 2025
しょこω北乃勝 さん
オクトパストラベラー2
オクトパストラベラー2 HD2Dの名作RPGの第二弾ですね。 物語は8人の主人公のそれぞれの人生を描く群像劇です。 剣士ヒカリ 戦国時代の横暴な兄弟との跡目争い 盗賊ソローネ 盗賊団の跡目争に巻き込まれたよ的な 踊り子アグネア スターを夢見る田舎娘の連続テレビ小説 商人パルテティオ 商人の父親が友人に騙されて貧乏人に、、 審問官テメノス 教皇殺害の犯人を捜す教団の審問官 学者オズバルド ライバル学者に家族を殺され復讐劇の旅へ 狩人オーシュット 世界を旅して神モンスターを探してクレメンス 薬師キャスティ 病人を救いつつ、自身の記憶喪失の謎を解く旅 筆者は主人公を聖火教の審問官テメノスでスタートしたんですが、 謎解きのシーンになると、一人の世界になってちょっと古畑任三郎ちっくになるのも面白かったですね。 各主人公が章立てで物語が語られて、どのストーリーも秀逸なんですよ。そして複雑に絡み合う点と線。あのキャラこんなに重要だったのかとか、こいつ裏でこんなことしてたのかとか、最後に分からせられてしまいますぅ。 バトルは前作同様 おじさんが大好きオーソドックスなターン制コマンドバトルで 本ip特徴の、全ての敵に弱点が設定されていて、その弱点を突くとシールドポイントが削れてピヨピヨ状態に出来るので、敵が大技くりだす手前で止めたり、ダメージを沢山いれるチャンスを作りドッカーンできもちいeeeeeeってなるのです。 あと、ブーストポイントをうまく使ってターンを増やしたりし 底力というリミットブレイクてきな技が使えたり 状態異常やバフも管理が大切だったり メインジョブ+サブジョブの組み合わせで、立ち回りがいろいろ工夫できたり、戦闘も爽快感あって雑魚戦やレベル上げも凄く楽しいです。 また、キャラ同志の声の掛け合いもキャラが映えてよかったですね^^ 各キャラで設定されているフィールドコマンドも、昼夜で違って NPCからものを盗んだり、説得したり、一時的な仲間にしたり。。 どの場面でもギミックが有って、そのすべてが戦闘に影響するアイテムだったりNPCだったりが有って、頑張りごたえが有るので夢中になってしまいます。 画面の画も前作よりもパワーアップしており、背景の奥までこだわっていて(動物がいたり、森林が遠くまで書き込まれていたり)ディテールの深度が深まっていましたね。 そして、最高なのがBGMです。各シーンで盛り上がる音楽が最高で、シーン毎必ず一周してBGMを聞いてしまいます。なんならゲームをしていない日常生活でもBGMをながして聞いてしまいました。 と 今年はこんなにドはまりした オクトパストラベラー2を推していきたいと思います。
Game of the Year 2025
ライチ さん
SILENT HILL f
・次第に混ざりゆく世界と自他...この雛子は誰? サイレントヒルfは外伝的な立ち位置として日本を舞台とした作品。 サイレントヒルシリーズは毎度身近な住宅街が非日常に飲まれていく描写が禍々しくも美しい。原風景がひずみゆがんでいく様子は嫌悪感を引き出しつつも、心のどこかに潜んでいる破滅願望を満たさんとする美を併せ持っており、ホラーが苦手な自分が唯一自分から遊びたいと積極的に思う(でも当然ビビり倒す)作品であるため今作も意気揚々とプレイしたのである。 (なお今作は周回プレイが前提と思われる作品であるが自分はまだ2週目の途中であり、ストーリーの感想は現時点でのものである) 今作はアクション難度が高めとの前情報を聞いていたが、サイレントヒルのファンとして難易度は“難関”でプレイすることにした。 外伝的な今作では町が霧に包まれた表世界と謎の神社仏閣の裏世界を行き来することとなる。これまでの作品では同じ場所だが様相が違うという表現だったのに対して表世界と裏世界が完全に異なる点に違和感を感じたり、ストーリーとしても今回は生き残ること以外の目的が示されず、「これはサイレントヒルなのか?」と頭の片隅で思いつつプレイしていた。 しかし、かなり個人的な理由なのだがその違和感をねじ伏せる感情が大部分を通してあった。 怒りである。 ある敵がとにかく 強い 強すぎる。 それは這いつくばりながら襲ってくる、犬っぽさのある敵なのだが、まずモーションが強い。腕を振り上げる攻撃のリーチがものすごい。身長以上の間をとっていてもグッとふみこんできて爪先がビュッとかすめる。かなり痛い。しかもそれで終わらずコンボが決まる。下手すると難易度もあってそのまま即死する。 さらに今作は昭和の町が舞台なので、これまでの海外のような広く整った道ではなく、狭い路地裏で乱雑に置かれた箱などが邪魔。そのため、よけようとしても壁や物にすぐに引っかかりタコ殴りに... なんだそれ...卑劣な奴め...そっちは捨て身でかかれるけどこっちはやられたらだいぶ前のセーブポイントからやりなおされるんだぞ... ゆ゛る゛せ゛ん゛!!! そして恐ろしいことにこの犬男(勝手に命名)はあろうことか雑魚敵。いたるところに出てくるのである。しかも、曲がり角から、後ろから、挙句の果てに犬男2人で挟み撃ち。 あまりにもひどい仕打ちにプレイ中に出てくるたびに「また出たな?!許さん!!」と怒りの感情を爆発させながら死闘を繰り広げるようになってしまった。 しかし、偶然なのだがそれが一つの不思議な感覚を生むようになったのだ。それは雛子の立ち位置が曖昧になっているという感覚である。 本作は主人公である雛子がプレイ中もよくしゃべるのだが、物語が進むにつれ、倒した敵に怒りの言葉をぶつけるようになるのである。まさに自分の言葉を代弁しているのである。”相棒”という表現がゲーム内で多分に出てくるのだが、雛子がまさに自分の相棒のように一緒にいてくれている感覚があり、プレイするモチベーションをものすごく支えてくれていた。 しかし、自分の怒りを雛子が直接敵にぶつけている、そのシンクロ感が次第にまるで雛子が元々自分のアバターとして作ったものであるようにも感じさせてくる。雛子は雛子の考えがあって行動しているはず。でも戦闘は自分のスタイルで動いている。ならこの怒りは誰の怒り…? 通常主人公が確固とした自我を持っている場合、プレイヤーはそれを見守るもしくは導く第三者というスタンスでプレイをすると思われるが、この作品の場合は違った。ふと気づくと自分は雛子として敵と向き合い、倒した時には心からセリフを吐き捨てているのであった。それではそこにいるのは雛子なのだろうか...それとも自分がいるのだろうか...? ネタバレになるため深くは語らないが、思いがけずもこの不安定な心理状況はストーリーの根幹にもつながる部分があったと感じている。1週目をクリアしたときには誰に自分を重ねていたのかと非常に印象に残ったのである。そして、冒頭に述べた違和感も終盤で意味を持ち始め、個人の結論として 「これは、確かにサイレントヒルだった...」 と思ったのであった。偶然も含めて全部がサイレントヒルに収束したのである。もうこれは My GOTY 決定だ。 毎回人間の内面を深いところまで切り出してくるサイレントヒルシリーズの最新作だが、今作も非常に満足感のあるものだった。自分特有の経験もあったもののストーリー単体でも終盤の展開には引き込まれるものがあった今作は、間違いなく今年のMy GOTYである。 念のため断ると当然難易度を変えることでスムーズにゲームを進められるので初心者も安心してほしい。ストーリーの良さについて今回あまり伝えられていないが、なぜ雛子がこんなふうに変わっていったのか、精神と感情を揺さぶってくる今作が気になった方はぜひプレイしてみてほしい。そんな重厚さを持つ素晴らしい一作だった。
Game of the Year 2025
まなかじゅんぺい さん
ELDEN RING NIGHTREIGN - Deluxe Upgrade Pack
(一部AIの支援を受けて書いています) 例年、その年に発売されるゲームが一通り揃ってくると、私は今年遊ぶゲームの計画を立てる。 2025年も、年初に完璧な計画を立てた。 待望の続編がいくつも控えており、例年になく充実した“ゲーム豊作の年”になる──そう信じて疑わなかった。 デスストランディング2、Ghost of Yotei、そして積みっぱなしの名作たち。 すべてのタイトルにおおまかなスケジュールを割り振り、「今年は計画的に遊び切るぞ」と意気込んでいた。 ……しかし、その計画はある一本のゲームによって跡形もなく崩壊する。 その名は、『エルデンリング ナイトレイン』。 そして後に追い打ちをかけるように登場するDLC “Forsaken Hollows”。 これが、2025年の私のゲーム人生を完全に狂わせた。 ■ 一度触ったら抜け出せない“夜”の中毒性 ナイトレインは、とにかく中毒性がえげつない。 気づいたら「あと1回だけ…」が朝になってるタイプのゲームだ。 中でも忘れられないのが、見ず知らずの人との無言の連携プレイ。 通常のプレイではマップへのピン刺しと即座には使えないジェスチャーという限られたコミュニケーションだけで、 • 「ここはこう動こう」 • 「あのボスは一旦撤退しよう」 • 「次はこう仕掛けよう」 みたいな戦略が自然に共有されていく瞬間がある。 その“意思疎通できてしまう魔法”みたいな体験が、ナイトレインの魅力を何倍にもしてくれた。 そして迎えた最終夜。 ギリギリの攻防の末、見知らぬ仲間と大ボスを倒した瞬間のあの達成感……。 本編のエルデンリングで何十回とやられた末にボスを倒した時と同じ、いやそれ以上かもしれない満足感があった。 ⸻ ■ 人生初、Discordでの「見知らぬ誰かとボイチャ」体験 正直、今までマルチプレイにはほとんど触れてこなかった。 でも、ナイトレインをきっかけに初めてDiscordサーバーに参加して、知らない人たちとボイスチャットをしながら協力プレイをした。 これがもう……楽しすぎた。 「なんで今までやってこなかったんだ俺…!」と本気で後悔したくらい、ゲーム体験の幅が一気に広がった。 PlayStationやDiscordって、こんなに世界を広げてくれるんだ。 ⸻ ■ 完璧すぎるコンテンツ供給サイクルに人生が持っていかれる さらに恐ろしいのが、コンテンツの投下速度が完璧だということ。 • ボスを倒し切った頃に強化ボス、常夜の王が追加 • 常夜の王を倒し切った頃に “深き夜” のレート戦が開放 • 深き夜を登りきった頃……いや、登りきれなかったけど… • 気づけばDLC『Forsaken Hollows』が来ていた ……そして私は、発売からずっとナイトレインをやり続けることになったわけだ。 他のゲームを買ったり、やりかけたデスストに戻ろうとしたりもしたが、気づけばまた夜に戻ってしまう。 ほんとに一年中、夜に囚われっぱなしでした。 ⸻ ■ 結論:今年、私のゲーム人生を奪ったのは間違いなくこれ エルデンリング ナイトレインは、私にとっては、 • マルチプレイの楽しさに目覚めた原点であり • 見知らぬ仲間とのドラマを生んだフィールドであり • 予定していたあらゆるゲームを吹き飛ばした怪物 でした。 気づけば一年を丸ごと持っていかれる覚悟は必要だが、 「今年一番、誰かに勧めたいゲームは?」と聞かれたら、迷わずこれを挙げる。 どうかあなたも“深き夜”に足を踏み入れてみては? そこには、忘れられない体験が待っている。
Game of the Year 2025
銀麦 さん
ELDEN RING NIGHTREIGN
フロムの新作が出るらしい。 エルデンリングの派生作品らしい。 マルチプレイがメインのゲームらしい。 大きな期待はしていなかったと思う。 ただ漠然と、もはやお布施のような気持ちで購入ボタンを押していた。 自ら進んで情報を仕入れることもなく、発売日を迎えた。 日付が変わると同時にゲームを起動し、フレンドと出撃する。 何もわからないまま、敗北する3人の姿がそこにはあった。 この瞬間から、俺の心は夜に囚われてしまったのだと思う。 一ヶ月経っても、期待していなかったはずのゲームは、俺の心の中心に居座り続けていた。 一通りのボスを倒せるようになり、一旦の落ち着きを得た頃、強化ボスが実装された。寝れなくなった。 何度か、モニターに反射する朝日で目を眩ませたが、すべての強化ボスを撃破した。 ふぅ、ようやく終わりか。 新難易度が実装された。 また、眠れなくなった。 新難易度ではレート制が実装された。 挑む、負ける、ギスギスする。腹を下しそうな三角食べを繰り返しながら、ようやく目標のレートまで駆け上がった。 ようやく寝れる。 DLCが実装された。 俺の夜は、終わらない。
Game of the Year 2025
kyu3(キューさん) さん
Switch Sports
今年はほぼ Switch Sports のサッカーばかりやってました!😅 途中プレーしてて肋骨を折ったり。テニス肘を発症したりと。体が負傷するくらいプレイしてました。 さらにプレイ動画をあげまくってたら、なぜかちょっとアイドルっぽい立ち位置?に。なぜかプレイしてると挨拶してくれるプレーヤーがちょいちょい現れたりと。 …と言う個人的事情はさておき。レビューも書くと。ほんとよく出来てるスポーツ・ゲームだと思います。 ボーリングやテニス、バトミントンなどは、かなりリアルな感覚もありますし。他のスポーツもそれなりそれぞれのスポーツの感覚が再現されてて。その点はとても良いなと思います。 コントローラーが苦手な人も手軽にできる点も良い点かと。 あと私はサッカーと今年後半はゴルフにはまり。両方ともSランクまでいきましたが。今も楽しくプレイしております。
Game of the Year 2025
ゆきぼう さん
カオスゼロナイトメア
2017年に早期アクセスが開始され、2019年に正式リリースされたデッキ構築ローグライクカードゲームの傑作、Slay the Spireは元を辿れば1995年リリースのボードゲームの金字塔「カタン」の系譜を継ぐ(直接的には「ドミニオン」でもある)ものである。そして、この「カオスゼロナイトメア」は、そんなSlay the Spireをベースに、よくあるソーシャルゲームの要素を付け加えたゲームである。 と、「なんだソシャゲか」と侮ることなかれ。ベース部分はSlay the Spireだが、キャッチーなキャラクターデザイン、カードイラスト、ホヨバース作品とほぼ同じガチャシステム、そしてクトゥルフ神話ライクな世界観をないまぜにしてまさにカオス化した結果、類稀なる傑作に仕上がっているのだ。 まずこのゲームの褒められるべき点として、キャラクターの行動ソースであるカードを厳選するためのステージである「カオス」の周回を、スタミナの概念なしでできるようにしたことが挙げられる。 少しわかりやすく説明しよう。 このゲームには多くのキャラクターが存在し、ストーリーで獲得できる一部の星4キャラクター以外はガチャを回して獲得することになる。キャラクターはそれぞれ固有のスキルを使えるカードを持っており、強いカードもあれば使いにくいカードもある。これらを取捨選択してデッキを最適化するためのステージが「カオス」という場所なのだ。このカオスに入り、Slay the Spireと同じようにマスを進むごとにカードを増やしたり削除したり、ロマンシングサガのようにヒラメキを経てカードが強化されたりを繰り返して、最終的にその状態を「セーブデータ」に格納し、各種エンドコンテンツに挑むために活用する。こういったセーブデータ作成がメインコンテンツであるゲームは多く存在し、同時期にリリースされたヨースターの「ステラソラ」も同じような仕様ではあるが、デッキ構築の過程は本作の方が直感的でわかりやすい。さらにレアリティが高いキャラクターが絶対的にわかりやすく強いわけでもなく、カードのシナジーがうまく組み合わさった時には星4キャラクターでも十分に強いし、なんなら星5にも引けを取らないどころか恐ろしいほどの火力を発揮するパーティーも構築できてしまうこともある。これがまた楽しい。 世界観にクトゥルフ神話要素があると先に述べたが、シナリオがおどろおどろしいだけではなく、きちんとゲームサイクルに組み込まれているのも面白かった。いわゆるSAN値のようなものが貯まるとキャラクターは精神崩壊してしまうのだが、パーティ全員(3人)が崩壊してしまうといくらHPが残っていようが全滅扱いとなってしまう。とはいえ、全員崩壊しても行動は出来るので、その後にとどめを食らう前に敵を倒し切ってしまえば戦闘に勝利することは可能だ。ただ、その状態でカオスを踏破するのは極めて困難であり、要はキャラクターをいかに精神崩壊させずに立ち回るか、あるいは崩壊してしまったら、全滅する前にいかに個々のキャラクターを回復させるかが重要になる。不幸にも全滅してしまったり、一定条件を満たしてしまうと無事にクリアしたとしてもキャラクターには入院が必要なほどの後遺症が残る。そして、プレーヤーはそのキャラクターたちを限られたリソース(コミュニケーションパスという)を使ってカウンセリングするか、あるいはお金を払って記憶を消去して何も起きなかったことにするかの二択を迫られるのだ。なんと冒涜的で名状しがたいゲームなのだろう。 長々と語ってしまったが、このゲームの魅力はこんな文章では到底伝えきれない。確かに画面を見るとSlay the Spireじゃないかと言いたくなってしまうのだが、色々な要素を組み合わせたことと、クトゥルフ神話の終末的なスパイスが混じり合い、奇跡的な輝きを見せているのが本作なのだ。 もう一度言おう。ソシャゲだからと侮ることなかれ。
Game of the Year 2025
ニス さん
ドンキーコング バナンザ
今年のGOTYは迷いに迷った。 正直ハード問わず多数の有力候補があったが、悩んだ結果私は『ドンキーコング バナンザ』にGOTYの座を譲ることにした(誰目線?) まず、このゲームは新規プレイヤーに向けているのは当然として、完全にスーパードンキーコング世代も狙い撃ちにしている。 SFCであの衝撃をリアルタイムで体験した身としては、序盤の数分で「見た目は全然違うけどこれは紛れもなくドンキーコングだ」と確信した。 あの独特の重量感とか、探索していて何かを発見する時のあの“ちょっとした高揚感”とか、ジャングルの色味や空気感とか、プレイしていて何度もニヤリとした。 それでいて、中身は完全に現代のゲーム。 特に“破壊”と“探索”がここまで自然にゲーム体験として組み込まれているのがすごい。 壁を殴って壊す、床の下を覗き込む、怪しい場所に物を投げてみる──SFC時代にやっていた行動が、今はそのまま“新しいルート”や“意外な発見”につながるようにデザインされている。 懐かしさで引っ張るんじゃなくて、昔の遊び方を現代の自由度でちゃんとアップデートしてくれている。 これはシリーズの「続編」としてよりも、「再定義」に近い感覚だった。 ネタバレになるので具体的な言及は避けるが、終盤の展開は本当に胸が熱くなった。 そしてこれがGOTYの決定打になったと言って差し支えないだろう。 露骨に懐古に寄らず、でも確実にスーパードンキーコング世代に刺さるように作られている。このさじ加減は本当に見事だった。 技術的な進化はもちろん感じるが、それ以上に“あの頃のワクワクする気持ち”を、ごく自然に、しかも最新の形で返してくれたという意味で特別だった。 スーパードンキーコング世代にとって、この作品の刺さり方はちょっとレベルが違うと思う。 懐かしさよりも、“今だからこそできる進化”でとどめを刺してきた一本。 ドンキーコングバナンザ、最高でした。
Game of the Year 2025
むらしゅん a.k.a サブカルク〇野郎 さん
Clair Obscur: Expedition 33
---------------------------------------------------------------------- 「FF病」をこじらせたサブカル厄介おじがフランス産RPGに救われた話 ---------------------------------------------------------------------- 「え、これマジで?」 『Clair Obscur: Expedition 33』が、2025年のGOTY(ゲーム・オブ・ザ・イヤー)大本命だというネット記事を読んだとき、俺は我が目を疑った。 ​誤解しないでほしい。俺にとってこのゲームは確かに傑作だ。でも、これが万人受けするなんて信じられない。なぜなら、俺がこのゲームに捧げている愛の正体は、長年ファイナルファンタジー(FF)シリーズに抱き続けてきた、「巨大な未練の反動」に他ならないからだ。 ​◆俺の「FF」は10で止まっている ​ここでハッキリ言わせてくれ。俺の中のファイナルファンタジーは『FF10』で完結している。(※個人の感想です。10-2以降を愛する皆様を否定する意図はありません。命だけは助けてください) ​俺が「FF病」を発症したのは、『FF10-2』がきっかけだった。 百歩譲ってリュックはいい。だが、あの聖女ユウナがだ。太もも丸出し、胸元おっぴろげ(謎のトゲトゲで隠してはいるが)で、「ユ・リ・パ、レディ・ミッション・スタート♥」 とか言い出した時の絶望感よ。当時、ユウナを聖女崇拝していた俺は、あまりの解釈違いに泡を吹いて倒れた。 ​その後も、俺の苦悩は続く。 ​『12』のガンビットシステムに脳が追いつかず、 ​『13』の「ファブラ・ノヴァ・クリスタリス」という呪文に馴染めず、 ​『15』に至っては「ホスト達のキャンプ」というビジュアルだけで食わず嫌いを発動。 ​『16』でようやく復帰し、「FFらしさ」を感じて楽しめたものの、かつて少年の頃に感じた「あのワクワク」は戻ってこなかった。 気がつけば20年。俺は「純粋なゲーム少年」から、立派な「サブカル厄介おじ」へと変貌を遂げていたのだ。 ​その間、俺の心の隙間を埋めたのは海外勢だった。『The Elder Scrollsシリーズ』の圧倒的自由度に殴られ、『ウィッチャー3』の渋い語り口に酔いしれる日々。ドラクエ11はかなり良かったが、俺はあいにく骨の髄までFF派。 「いつか、俺の理想のFFが帰ってくるんじゃないか……」 そんな儚い希望を抱き続けるゾンビ。それが、FF病患者である俺の正体だ。 ​◆フランスからの刺客『Expedition 33』との出会い ​そんなゾンビライフを送る俺の前に現れたのが、『Clair Obscur: Expedition 33』である。 ​冒頭から心を鷲掴みにされた。 赤と白の花びらが舞い散る美しい街並み。歪んだエッフェル塔のような建物。これからお祭りが始まるらしいが、街の住人は不穏な単語を口にしている。「抹消」だの「ペイントレス」だの。 どうやら俺は、元カノのソフィーと港へ向かうらしい。たどり着いたその先、海の向こうの上空に浮かんでいたのは、巨大な数字「34」だった。 ​「ペイントレスが目覚める。抹消が始まる」 先に進みますか? → [YES] ​カットインが入る。「34」の数字は、海を越えた先にある巨大な玉座に描かれていた。そこに座る、長い髪の巨人。そいつがおもむろに手をかざすと、数字が「34」から「33」に書き換わる。 ​その瞬間、地獄が始まった。 人々が赤い花びらとなって消えていく。だが、消えるのは「特定の年齢の大人」だけだ。子供たちは、まるでそれを知っていたかのように、あるいは涙をこらえ、あるいは目を背けている。元カノのソフィーも泣きながら花びらになって消えた。 そして俺(主人公)は……消えない。 一人残された主人公が「33」という数字の前でうなだれてプロローグ終了。 ​……なんだこれ、最高かよ。 ​謎めいた導入、圧倒的な絶望感。サブカル厄介おじの心臓が、久しぶりに高鳴った。「スカイリム」にも「ウィッチャー」にもなかった種類のワクワク。 そう、これはかつて『FF10』で感じたアレだ。 ​​◆これは実質「FF10の正統進化」だ ​思い返せばFF10のはじまりも謎だらけだった。 幻の都市ザナルカンドで、謎の巨大生物に襲われ、謎の少年に意味深な言葉をかけられ、謎のオッサンに剣を託され、謎の別世界へ飛ばされる。訳が分からないまま進む冒険。 ​『Expedition 33』も同じだ。 美しいグラフィック、萌えすぎない魅力的なキャラ、ターン制バトル。類似点は多いが、何より似ているのは「物語の根底に流れる悲劇性」だ。 『FF10』が「召喚士の理不尽な運命」に立ち向かう話なら、こっちは「理不尽に定められた寿命」に抗う話。表向きは冒険譚、でもその裏には常に切ない通奏低音が響いている。 ​さらに戦闘システムに至っては、ターン制にパリィ(弾き)を組み込むことで、FF10のバトルを数段階アップデートさせたような完成度になっている。 ​俺は確信した。こいつは、FF10の正統進化だ。 FF10の種子が海を渡り、フランスという土壌で萌芽し、異国のクリエイターに大切に育てられ、立派なトリプルAタイトルに成長して日本へ帰ってきたのだ。 「おかえり!! 20年間ずっと君を待ってたよ!!!??」(※落ち着け) ​スクエニの株主総会でこのゲームの名前を出した人の気持ち、今なら痛いほど分かる。「こういうのを! スクエニに作って欲しかったんだよ!」と叫びたい気持ちも分かる。 でも逆に考えよう。日本のRPGがフランスで、そして世界で愛され、育てられた結果なのだと。こんなに嬉しいことはないじゃないか。 ​◆結論:世界中が「FF病」だった説 ​そんなわけで、重度FF病患者の俺にとって『Expedition 33』は特別な一本となったわけだが、冷静に見れば粗も多い。 唐突で説明不足なストーリー展開、メインクエにねじ込まれるお使いの作業感、作りが雑で別に面白くないミニゲーム…… (ここまでくるとそれも往年のJRPGへのオマージュなのだろうかと思えてくる節すらある) ​だからこそ、この作品が本家GOTYを獲得したという事実には驚いた。 まさか、世界中に俺と同じような「FF病患者」がパンデミックを起こしているとでもいうのだろうか? ​何はともあれ、インディーズであるサンドフォールインタラクティブがGOTYという偉大な名誉を獲得したことに、心からの賛辞と敬意を表したい。 ありがとう、俺の「FF病」を癒やしてくれて。 ※このレビューは筆者の文章をベースにAIが脚色したものです。