みんなのGOTY(ゲーム別)

新着順 Game of the Year 2025 ゲーム別

Undertale

Game of the Year 2025
ウルトラのトト さん
グノーシア
購入したのは、2024年1月2日。 たぶん、セールだったんだと思う。 私は人狼ゲームが、特別好きというわけではない。 だからこのゲームとも、数日遊んでは離れて、数か月後に思い出したように戻ってきて、また数日でやめてしまう・・・ そんな付き合い方をずっと続けていた。 そもそも私は、途中で離れたものに戻るのがあまり得意じゃない。 読みかけの本はそのまま積まれて、久しぶりに開いても、もう内容はほとんど覚えていない。 ゲームも同じで、間が空くと続きからはできず、結局また最初から始めて、そして、やっぱり途中でやめてしまう。 それでも『グノーシア』は、少し違っていた。 少し遊んでは満足して、放置する。 それなのに、不思議と「積みゲー」にはならなかった。 何度離れても、また戻ってきてしまう。 理由はよくわからないけれど、そういうゲームは、私にとってかなり珍しい。 気づけば二年近く、「付き合っては別れる」みたいな距離感のまま、このゲームと過ごしてきて、そして、ようやくクリアした。 もう起動することは、たぶん、ない・・・ あれほど、離れては戻るを繰り返してきたのに、エンディングを見終えたあと、もう一度起動しようとは思わなかった。 それは冷めたからでも、満足しきったからでもない。 遊び終えた、というより、理解してしまった、という感じに近い。 そう思わせるところまで含めて、今でも印象に残っている。
Game of the Year 2025
Emesuke|Dear Good Gamers ! さん
SILENT HILL f
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という有名な書き出しがある。なぜそう思うのか。それは「桜が美しいから」だ。それほどまでに美しく、ときに不安を与えてしまうほどに、その幹や枝葉の先は魅力を放っている。 日本人は昔からこの桜の美しさを恐ろしさに変えて表現してきた。それだけこの2つの感情には共通点があって、一見真反対に見えても紙一重なのだと思う。 例を挙げると、「美しすぎて息を呑む」、「美しさに感動して鳥肌が立つ」。これらは「不安に対して固唾を呑む」、「身の毛もよだつ」と似た感動を身体が表現している。 そしてここからが本題。 発売から現在に至るまで好評を博している「サイレントヒルf」だが、私もプレイしてみて非常に面白かった。終わってみても、どうしてもこのゲームのことがこびり付いたように頭から離れてくれない。これはもう、GOTYにするしか、ない。そう思った。 ではどこが面白かったのか。それを考えたとき、「これはレビューの難しいゲームだ。」と思った。発売後約3ヶ月経ってなお、プレイヤーたちの考察が絶えないほどに、多くのメッセージや様々な側面を持っている作品だ。面白いのは間違いなかったが、なかなか一つのテーマでは語りきれない。 でもなんとか、未プレイのあなたにもこのゲームの魅力を伝えたい。勿論ネタバレなしで。 そこで本作のキャッチコピーとも言える、 「美しいがゆえに、おぞましい。」 このテーマを紐解きながら、魅力を語っていきたいと思う。 サイレントヒルfでは、直球的でダイレクトに訴えかけてくるような恐怖表現は少なかったように思う。キャラクターを操作するマップは比較的開放的な外が多いし、明るい場所も多い、勿論、見た目がグロテスクなバケモノが現れたり、「どこかに敵が潜んでいるかもしれない」という恐怖はあったりする。しかしそういった視覚的な要素というのは、徐々に慣れが生じてくる。ましてやこのゲームは真相まで辿り着くに周回が前提となり、今までのシリーズにはなかった戦闘アクションにも特化している。プレイヤーの慣れに加え、周回を重ねて強くなっていくキャラクターを動かしていく、というのはどうだろう。単純な恐怖というのは比較的薄れていくのではないだろうか。 しかしながら、ホラーゲームとしてこのサイレントヒルfはしっかりと怖い。少なくとも私は周回してもどこか恐怖を感じられていた。 それはこれまでの直接的で単純なホラー表現ではなく、テーマの「美しさとおぞましさ」をふんだんに活用しているからではないかと思う。 冒頭では有名な桜の話を例に挙げて美しさとおぞましさの関係性を少し語ったが、ここからはサイレントヒルfにおける、私が感じた美しさとおぞましさの表現を語ってみよう。 まず戎ヶ丘では、純日本的な風景、郷愁を感じる雰囲気が漂う。しかしそこに混ざる窮屈さや違和感。周囲からの様々なストレスに押し潰されそうな主人公雛子の心境がプレイヤーに伝わってくるような気がする。 もう一つの舞台である狐たちの社では、神秘的な世界が広がっている。戎ヶ丘とは違い暗闇が多く、その中には蒼白い炎と鮮血がほとばしっており、おどろおどろしいのにどこか魅入られてしまう。言い表すならば「妖艶」だろうか。 これらの町と社を行き来しながら物語が進んでいくわけだが、和の美しさと形容し難い恐怖、この2つが絶妙なバランスで散りばめられている。どちらかに傾くわけではなく、均衡を保っているわけでもない。 とにかく ギシギシ、 ぐらぐらと 不安定なのだ。 この不安定さを浴び続けることで、私たちプレイヤーは喉を絞められるような、心臓の奥底を掻き回されるような、じとっとした恐怖を呼び起こされるのだろう。 この不安定さを表すために、美と恐怖を計算しながらゲーム内に配置しているのだと思う。マップデザインから敵のデザイン、光の輝き方や色彩のバランスまで。 不安定が与える感情というと、少し逸れるが「吊り橋効果」というものがある。揺れる橋を渡る際の恐怖や緊張感を恋愛の高揚感と誤認する、というものだ。ここで私が言いたいのは、誤認するということは似ているということ。美しさから感じ取る気持ちの昂りと、恐怖や不安から生じる緊張感は近しい場所にあると言え、初めに伝えた「2つの感情は紙一重である」 ということを裏付ける一因になっていると思う。道草終わり。 話を戻して、もう一つ美しさとおぞましさを感じたポイントについて。 それは登場キャラクターたちのデザインと、そのキャストの演技である。 ゲームをプレイしているとき、1週目では正直、「あまり演技が上手くないのでは」と感じる部分が所々にあった。しかし、後になって気付いた。それがこのサイレントヒルfにはマッチしていたということに。 ゲーム中、登場人物たちは皆どこか本音を隠すような雰囲気や態度、話し方を見せる。それこそ正に上っ面、お面をつけたような印象を受けるのだ。だからこそ、「何を考えているのか、どういう感情なのかよく分からない」ような声、喋り方は合っていた。 それがゲームの周回を進め真相へ近づくと、上っ面であったお面が少しずつ剥がれていく。本音が見える。すると、声も迫真になる。 美しいような、どこかお面のような不気味さを持ち合わせたキャラクターたちと、そこに合わさったキャストの演技力はこの作品の大きな魅力であると思う。 他にも沢山の要素を組み合わせながら、見事な不安定さ、アンバランスを実現させている。現実と妄想と精神世界の境界を曖昧にすることでの不安定さなどは正にサイレントヒルシリーズの伝統的とも言える方法だろう。 全てを語りきることはできないため割愛するが、「美しさ」と「おぞましさ」、これらを緻密に配置することで不安定を作る。これに尽きる作品であったと思う。 結果今作はリリース後1日で100万本を突破し、かのサイレントヒル2の勢いを凌ぐほどとなった。 発売から少し経った現在も、キャラクターモデルとなった人物たちがプレイ動画を配信するという話題性も相まって販売本数を伸ばし続けている。 ぜひあなたもプレイして、心臓を高鳴らせてほしい。その鼓動は美しさからだろうか?恐怖からだろうか?それとも、もっと別の何かを感じているのだろうか?それはあなただけの感情だ、戎ヶ丘でその正体を確かめてみてほしい。 美しいものは恐ろしい。はたまた、恐ろしいから美しい。のかも、しれない。だから私もこう思うのだろう。 「あぁ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!」