Emesuke|Dear Good Gamers !のGOTY
GAME OF THE YEAR
SILENT HILL f
妻の常識ひっくり返したで賞
Undertale
Emesuke|Dear Good Gamers !のGOTY
GAME OF THE YEAR
SILENT HILL f
妻の常識ひっくり返したで賞
Undertale

GAME OF THE YEAR
SILENT HILL f
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という有名な書き出しがある。なぜそう思うのか。それは「桜が美しいから」だ。それほどまでに美しく、ときに不安を与えてしまうほどに、その幹や枝葉の先は魅力を放っている。

日本人は昔からこの桜の美しさを恐ろしさに変えて表現してきた。それだけこの2つの感情には共通点があって、一見真反対に見えても紙一重なのだと思う。
例を挙げると、「美しすぎて息を呑む」、「美しさに感動して鳥肌が立つ」。これらは「不安に対して固唾を呑む」、「身の毛もよだつ」と似た感動を身体が表現している。

そしてここからが本題。
発売から現在に至るまで好評を博している「サイレントヒルf」だが、私もプレイしてみて非常に面白かった。終わってみても、どうしてもこのゲームのことがこびり付いたように頭から離れてくれない。これはもう、GOTYにするしか、ない。そう思った。

ではどこが面白かったのか。それを考えたとき、「これはレビューの難しいゲームだ。」と思った。発売後約3ヶ月経ってなお、プレイヤーたちの考察が絶えないほどに、多くのメッセージや様々な側面を持っている作品だ。面白いのは間違いなかったが、なかなか一つのテーマでは語りきれない。
でもなんとか、未プレイのあなたにもこのゲームの魅力を伝えたい。勿論ネタバレなしで。
そこで本作のキャッチコピーとも言える、

「美しいがゆえに、おぞましい。」

このテーマを紐解きながら、魅力を語っていきたいと思う。

サイレントヒルfでは、直球的でダイレクトに訴えかけてくるような恐怖表現は少なかったように思う。キャラクターを操作するマップは比較的開放的な外が多いし、明るい場所も多い、勿論、見た目がグロテスクなバケモノが現れたり、「どこかに敵が潜んでいるかもしれない」という恐怖はあったりする。しかしそういった視覚的な要素というのは、徐々に慣れが生じてくる。ましてやこのゲームは真相まで辿り着くに周回が前提となり、今までのシリーズにはなかった戦闘アクションにも特化している。プレイヤーの慣れに加え、周回を重ねて強くなっていくキャラクターを動かしていく、というのはどうだろう。単純な恐怖というのは比較的薄れていくのではないだろうか。

しかしながら、ホラーゲームとしてこのサイレントヒルfはしっかりと怖い。少なくとも私は周回してもどこか恐怖を感じられていた。
それはこれまでの直接的で単純なホラー表現ではなく、テーマの「美しさとおぞましさ」をふんだんに活用しているからではないかと思う。

冒頭では有名な桜の話を例に挙げて美しさとおぞましさの関係性を少し語ったが、ここからはサイレントヒルfにおける、私が感じた美しさとおぞましさの表現を語ってみよう。

まず戎ヶ丘では、純日本的な風景、郷愁を感じる雰囲気が漂う。しかしそこに混ざる窮屈さや違和感。周囲からの様々なストレスに押し潰されそうな主人公雛子の心境がプレイヤーに伝わってくるような気がする。
もう一つの舞台である狐たちの社では、神秘的な世界が広がっている。戎ヶ丘とは違い暗闇が多く、その中には蒼白い炎と鮮血がほとばしっており、おどろおどろしいのにどこか魅入られてしまう。言い表すならば「妖艶」だろうか。
これらの町と社を行き来しながら物語が進んでいくわけだが、和の美しさと形容し難い恐怖、この2つが絶妙なバランスで散りばめられている。どちらかに傾くわけではなく、均衡を保っているわけでもない。
とにかく
ギシギシ、
ぐらぐらと
不安定なのだ。
この不安定さを浴び続けることで、私たちプレイヤーは喉を絞められるような、心臓の奥底を掻き回されるような、じとっとした恐怖を呼び起こされるのだろう。
この不安定さを表すために、美と恐怖を計算しながらゲーム内に配置しているのだと思う。マップデザインから敵のデザイン、光の輝き方や色彩のバランスまで。

不安定が与える感情というと、少し逸れるが「吊り橋効果」というものがある。揺れる橋を渡る際の恐怖や緊張感を恋愛の高揚感と誤認する、というものだ。ここで私が言いたいのは、誤認するということは似ているということ。美しさから感じ取る気持ちの昂りと、恐怖や不安から生じる緊張感は近しい場所にあると言え、初めに伝えた「2つの感情は紙一重である」
ということを裏付ける一因になっていると思う。道草終わり。

話を戻して、もう一つ美しさとおぞましさを感じたポイントについて。
それは登場キャラクターたちのデザインと、そのキャストの演技である。
ゲームをプレイしているとき、1週目では正直、「あまり演技が上手くないのでは」と感じる部分が所々にあった。しかし、後になって気付いた。それがこのサイレントヒルfにはマッチしていたということに。
ゲーム中、登場人物たちは皆どこか本音を隠すような雰囲気や態度、話し方を見せる。それこそ正に上っ面、お面をつけたような印象を受けるのだ。だからこそ、「何を考えているのか、どういう感情なのかよく分からない」ような声、喋り方は合っていた。
それがゲームの周回を進め真相へ近づくと、上っ面であったお面が少しずつ剥がれていく。本音が見える。すると、声も迫真になる。
美しいような、どこかお面のような不気味さを持ち合わせたキャラクターたちと、そこに合わさったキャストの演技力はこの作品の大きな魅力であると思う。

他にも沢山の要素を組み合わせながら、見事な不安定さ、アンバランスを実現させている。現実と妄想と精神世界の境界を曖昧にすることでの不安定さなどは正にサイレントヒルシリーズの伝統的とも言える方法だろう。
全てを語りきることはできないため割愛するが、「美しさ」と「おぞましさ」、これらを緻密に配置することで不安定を作る。これに尽きる作品であったと思う。

結果今作はリリース後1日で100万本を突破し、かのサイレントヒル2の勢いを凌ぐほどとなった。
発売から少し経った現在も、キャラクターモデルとなった人物たちがプレイ動画を配信するという話題性も相まって販売本数を伸ばし続けている。

ぜひあなたもプレイして、心臓を高鳴らせてほしい。その鼓動は美しさからだろうか?恐怖からだろうか?それとも、もっと別の何かを感じているのだろうか?それはあなただけの感情だ、戎ヶ丘でその正体を確かめてみてほしい。

美しいものは恐ろしい。はたまた、恐ろしいから美しい。のかも、しれない。だから私もこう思うのだろう。

「あぁ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!」
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ゲーム概要

山々に囲まれた日本の田舎町・戎ヶ丘に住む主人公の高校生・深水雛子(しみず ひなこ)。彼女の日常は、謎の白い「バケモノ」によって突如崩れ去った。変り果てた見慣れた町を探索し、戦い、謎を解きながら、やがて彼女はある「結末」にたどり着く。
from Steam

プロモーションビデオ等


妻の常識ひっくり返したで賞
Undertale
始めに断りを入れておくが、これはゲームのプレイレビューではないし、正確には僕のレビューでもないかもしれない。では誰の?
それは少なくとも10回はプレイしたであろう僕が、このゲームを「初めてプレイする妻のリアクション」に対するレビューである。その上で改めて素晴らしい作品だと感じた。その始終を誰かに伝え、少しでも共有できれば幸いと思い、ここに記している。


知らない人にはきっかけを、知っている人には追憶を与える一助になることを願う。UNDERTALEのすばらしさを。


あなたには「記憶を消してもう一度遊びたいゲーム」はあるだろうか。僕にはいくつか思い当たる。その一つがこのUNDERTALEだ。
今年、とあるゲームメディアがこのテーマでアンケートを集計した。すると1位に輝いたのはまさにUNDERTALEであった。

ではなぜプレイしたユーザーたちは「記憶を消したい」とまで思うのか。それは「もうプレイする前の自分には戻れない」からだ。
この「戻れなくなる」要素には大きく分けて2つあると思う。
1つは「ストーリーを知ってしまった」
これは分かりやすく、今後の展開がどうなるのかを知ったことでこれまでと同じ驚きや新鮮味は得られないためである。
もう1つは「謎解きやパズルの答えを知ってしまった」
これも当然、答えが最初から分かっている謎に旨味などはない。
しかし、UNDERTALEは前者に近い部分はあれど、正直どちらにも当てはまらないと考えている。先程、要素には2つあると言ったな。

あれは嘘だ。

つまるところ3つめの要素がある。「常識や固定概念を変えられてしまった場合」だ。
UNDERTALEにはそんな力がある。それがキャッチコピーの「誰も殺さなくていいRPG」にぎっしりと詰まっているのだろう。
ここからは、その力を浴びて常識をひっくり返された妻のお話である。


きっかけはコンサートだった。今年はUNDERTALEがリリースされて10周年であり、それを記念したオーケストラコンサートが開催されることとなった。5年前にも同コンサートは開催されており、僕は動画でそれを拝見していた。当時世間、いや世界では新型コロナウイルスが猛威を振るっており、画面越しからでもとても元気をもらう素敵な演奏と音楽であった。

そんなコンサートが今再び⁉これは!これはもう!行くしか!!ない!!!

そう思った僕は価格を見ることもなく勢い任せにSS席のチケットに応募していた。
が、応募完了のボタンを押す寸前。「これ1人でいいのか?」ふとそう思った。あんなに素晴らしかった機会、誰かと共有できた方が感動もひとしおなのではないか。
そうして僕は妻をコンサートに誘った。かくかくしかじかで…あぁで…こうで…。さぞオタク特有の早口であったろう。
その後、妻はこれをあっさりと了承。「楽しそう」と言ってくれた。
ちなみにコンサートは言うまでもなく最高であった、が詳細は割愛。

ここまでは序章。これはコンサートの感想レビューではなく、妻のUNDERTALE初プレイ(を見た僕の)レビューなのだから。

そのときは唐突にやってきた。
コンサート参加を控えたとある日。妻からこんな言葉が出た。
「やっぱりUNDERTALEって、動画で見るのと自分でやるのじゃ全然違う?」「コンサートに行くんだったらちゃんと感動したいし、知っておきたい。」


UNDERTALEの…初見プレイが見ら…れ……?


僕は湧きあがり押し寄せるオタク心を必死に静めながら、すぐさまプレイ環境を整えた。

ここから妻の地底世界大冒険が幕を開けた。ちなみに妻は全くこのゲームを知らないというわけではない。なんとなく動画で見たことはある、という程度には認知していた。

いくつかのチュートリアルを終え、いよいよ一人で歩き出した数分後。その時は訪れた。
戦闘に入り、画面に現れた変哲もないカエル。名前はフロギー。妻はポチポチとボタンを押し、持っていた武器をフロギーに叩きつけた。当然反撃を受ける。

「このカエル、攻撃が意外と素早いね。避けづらい。」

至って冷静であった。僕にとってのフロギーは、妻にとってはただのカエルのようだ。やがて目の前のカエルは潰されて塵になった。
戦闘を終え、経験値が注ぎ込まれた妻。この後どうするのかと見守っていると、辺りをウロウロぐるぐるし始めた。

まさか。

「もうちょいレベル上げとかないとね。」

やばい。こいつホンモノだ。

背中に汗が伝うような気がした。
妻はゲーム自体は好きだが、普段はあまり自分でプレイしない。しかし、RPGだけは自らプレイする。特にドラクエとキングダムハーツがお好みのようだ。そんな妻のプレイスタイルは「徹底的なレベル上げと盤石な装備での圧勝」である。
その手に、その脳に、幼少期から刻み込まれてきたであろう妻のRPGスタイルが、今ここでフロギーを叩き潰している。

ネタバレは勿論、あまりアドバイスをしないでおこうと考えていた僕も流石に焦り、「このゲームはそこまで熱心にレベル上げをしなくても大丈夫だから。」と先のエリアへ背中を押したのであった。

旅を進める中で、序盤に立ちはだかるボスがトリエルというモンスターだ。彼女は初めて出会う主人公を助け、優しく接してくれた上で、この先主人公を襲う苦難を案じて旅を止めるよう訴えてくる。それでも歩みを止めない妻。対立し戦闘となる。
戦闘の中で少し対話することも覚えたようだが、
「まぁでもやるしかないよね。」
と変わらず冷静。トリエルも妻の振り上げた右手の前に沈む形となった。

ズン ズン と前に進む勇者妻。その背中にのしかかる業の重さに気づくのはいつになるのか。でも僕は気づいていた、トリエルを倒したときの妻のどこかくぐもった表情を。多分「何か違う」と感じていたのだろう。

意外にもその時は早かった。その先で出会ったスケルトン兄弟、パピルスとサンズ。そのパピルスと対峙することになるのだが、妻は純粋に敗北した。

「あぁ゛!あの骨避けれない!」

悔しがっていた。

相手のパピルスは心優しいが故に、この戦闘は敗北しても簡単に通り抜けられるような名ばかりの檻に入れられるだけ。いつでもすり抜けてパピルスに再戦しに行ける。
ここで妻に何か引っかかったようだ。

「ゲームオーバーじゃないじゃん。負けたのに死なないの?」

妻にとって戦闘は死ぬかどうか。デッドオアアライブ。きみは修羅場で生まれ育ったのか。

その後、敵の攻撃にも慣れてきてようやく勝てそうというところ。妻のカーソルが初めて右へ動いた。

【🗡たたかう】→【×みのがす】

僕は人が変わる瞬間を見た。

「さっき見逃してくれたし。」

妻にとっては些細なことかもしれないが、その選択は未来を、自分を変える。
戦闘を終え、イベントが進み、妻とパピルスは友達になった。パピルスとサンズのユニークなくだらない掛け合いを見て、少し笑う妻。

不思議なもので、「逃がせる」という選択肢を知っただけで、その後の旅は常に「どうすれば逃がせるのか」を考える戦闘に変わっていた。
気が付けば僕の横にいるのは、もうあの頃のバーサーカーではなかった。

しかし、手にかけたモンスターたちはもう戻らない。終盤になるにつれて、徐々に自分の罪を数え始めたらしい。所々で
「トリエルも助けられたのか…。」と呟いていた。
曰く、「殺したいわけない。でもそうするのが普通だと思って。」と話していた。
でも本当に?「レベルが上がったとき少しでも『よし』って感じなかった?」本編ラストのサンズばりに問うてみる。

怒られた。それしか知らなかったんだと、怒られた。


それはそうだ。僕もそうだった。きっとみんなそうだった。ゲーム中でフラウィーが言う。「この世界は、殺すか殺されるかだ。」でもそうじゃなくても良いんだとこのゲームに教えてもらった。
ここにいる妻も今、教えてもらったのだ。

ここからは怒涛だった。凄い勢いで1週目をクリアし、「今度は全員助けてみせる。」と真の勇者が立ち上がり、2週目を進めていった。
そのラスト、詳細は省くが、これまでのキャラクターたちとの思い出を振り返りながらラスボスに立ち向かうシーン。最高のBGMも相まって、何度見ても涙が出てくる。

ふと横を見た。妻も泣いている。なんてことだ。数時間前、フロギーを叩き潰したときの据わった真っ黒な目が嘘のよう。綺麗な涙が流れていた。

こうして妻の冒険は幕を閉じた。
全員をとことん抹殺するルートもあるよと伝えたが、

「もうそんなことは出来ない。」
「このまま皆には平和に過ごしてほしい。」

とのことだった。
きっと初めの頃、「全員倒したら最強武器が手に入るよ」なんて言ったら妻はどうしただろう。あのままエリアを徘徊しながら、隅をつつくように、草の根を分けるように、モンスターたちを探し続けていたのかもしれない。(1週目からそのルートには突入できないが)

ゲーム中、条件を満たすことでサンズと戦闘することができるが、その戦いの最中で彼はこんなことを言う。

「『できる』ってだけやろうとするんだ。そう…『できる』ってだけで…。」

そう。僕たちは何でもする。行けるかもしれない塔の上に登り続けるし、通路が隠されてるかもしれない壁は叩き続ける。盗めるかもしれない道具は盗み続ける。
この「できる」は人々の脳内で「やったらどうなるんだろう」に変化する。言い換えれば「知的好奇心」、もっと砕けば「興味」だろう。

UNDERTALEはこの「できる」を拡大して、これまでのゲーマーたちの中に刻まれ培ってきたものを逆手に取ったゲームだ。生かしても良い、殺しても良い、友達になっても良い。

これを知ってしまっては、これまで自分が経験値にしてきた者たちはどうなるのか。何千と切り倒してきたスライムたちにも仲間や家族がいたのか。
「ぷるぷる。ぼくわるいスライムじゃないよ。」

こうやって多くのゲーマーの常識を変えてくれたUNDERTALEが妻の固定概念も取り去っていった。今日もまたどこかで誰かの常識を覆していることだろう。
そんな素晴らしいゲームに最大限の感謝を送りたい。
10周年おめでとう。
congratulations
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ゲーム概要

世界中で大ヒットしたインディーロールプレイングゲーム『UNDERTALE』が、ついにNintendo Switchに登場!

ヘンテコだけど心温まる地底の世界には、キケンなモンスターたちがいっぱい。スケルトンとデートしたり、ロボットとダンスしたり、半魚人の女の子とお料理したり…???…もちろん、問答無用で全員退治してもOK。キミの“ケツイ”が、未来を決める…!
from マイニンテンドーストア

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