コマツナのGOTY
GAME OF THE YEAR
Ultima VI: The False Prophet
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Ultima VI: The False Prophet

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Ultima VI: The False Prophet
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究極の「不便」がもたらすリアリティ。30年前の『ウルティマVI』から受け取る、語りきれないほどの哲学。
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​【今回の冒険は、単なる再プレイではない】
​私にとって『ウルティマVI』は長年愛してやまない作品だ。これまではスーパーファミコン版を遊んできたが、今回の冒険は少し違った。どうしても「PC版」で、この世界の真の姿を味わいたいという、抑えきれない欲求が湧き上がってきたのだ。

​SFC版も良作ではあるが、ハードの制約ゆえに削ぎ落とされた要素も少なくない。より緻密に、より深くブリタニアの世界に没入したい。そんな「大人のこだわり」が、私をPC版の購入へと突き動かした。

​立ちはだかるのは言語の壁だ。現在主流のダウンロード版は日本語非対応だが、このゲームの魂は「NPCとの会話」にある。翻訳ツール越しの対話では、その魅力は半減してしまう。私は迷わず、日本語版が収録された『ウルティマコレクション』を手に入れた。たとえプレミア価格であろうと、本物の体験を得るためなら安いものだ。

​【「不便さ」という名の、丁寧なひと手間】
​本作を象徴する言葉、それは「生きた世界」に他ならない。
現代のゲームが効率化の名のもとに削ぎ落とした「不便さ」の中にこそ、この世界のリアリティは息づいている。

​例えば、住人(NPC)一人ひとりの生活サイクルだ。朝になれば起きて仕事場へ向かい、夕暮れには酒場で一杯やり、夜が更ければ家に戻って眠りにつく。プレイヤーの都合などお構いなしだ。彼らと接触したければ、こちらも宿を取るか野営をして、相手の生活時間に歩み寄る必要がある。この世界の時間は、決して自分中心には回っていないのだ。

​会話ひとつとっても、それは単なる「手続き」ではなく血の通った「対話」だ。まずはブリタニアの礼儀に則り、互いの名前と仕事を名乗り合う。そこから自らキーワードを入力し、相手の言葉を深掘りしていくことで、ようやく核心に迫れる。

​さらに驚くべきは、世界を構成する「物」へのこだわりだ。
マップ上のほとんどのオブジェクトは動かしたり手に取ったりできるが、それらは単なるデータとして置かれているのではない。職人の家ならその道具が、だらしない者の部屋なら散乱した私物が、住む人の暮らしぶりを手に取るように伝えてくれる。引き出しを覗けばそこにはその人の秘密が隠されている。ただそこにある「物」にすら、人間の気配が宿っているのだ。

魔法ひとつ使うのにも、一筋縄ではいかない。店で呪文を買うだけでは不十分でMPとは別に、その術に見合った「秘薬」を揃えておく手間が必要になる。
操作の端々に至るまで、本作は常に「ひと手間」を要求してくるのだ。

​これらの表現は、現代のゲーム基準で言えば「省くべき無駄」なのかもしれない。しかし、そのプロセスがあるからこそ、自らの分身であるキャラクターと一体化し、その地に生き、世界に深く入り込める。それは不自由さではなく、没入のための「丁寧なひと手間」なのである。

​【ドット絵の向こう側にある「真の冒険」】

では、翻って現代のゲームは本当に「リアル」だろうか。
ハード性能が飛躍し、現実と見紛うほどのグラフィックを享受できる現代。だが、そこに見映え以上のリアリティは宿っているだろうか。

​本作のグラフィックは2Dのドット絵であり、一見するとリアルとはかけ離れている。しかし、プレイを通じて感じるロールプレイの密度は、最新作に決して引けを取らない。その象徴が、マニュアルとして付属する「世界地図」や「ブリタニア概論」といった資料を読み解くアナログな行為だ。

​考えてみてほしい。
リアルな冒険に、便利なオートマッピングやデジタルな百科事典など存在するはずがない。冒険者が手に取るのは、不確かな地図であり、古めかしい書物なのだ。付属資料を読み込み、住人の言葉をノートに書き留め、自らの手と頭を動かす。このアナログな体験こそが、ドット絵の向こう側に広がるブリタニアを、何よりも確かな現実へと変えてくれる。

​【単純な「善悪」を超えた、思考の旅】

​このゲームが私の心に最も深く刻んだのは、善悪や徳、そして哲学とは何かという、語りきれないほどの思考の種だ。

​物語の冒頭、異世界から召喚された主人公は、突如として異形の「ガーゴイル族」に生け贄として捕らえられる。旧友たちに窮地を救われ、ロード・ブリティッシュ王から「神殿を占拠したガーゴイルを退け、ブリタニアを奪還せよ」と使命を託される。

​怪物から平和を取り戻す。一見すれば王道的なファンタジーの始まりだ。しかし、この物語の真髄は、その「正義」が揺らぎ始める瞬間にこそある。

​人々は主人公に対し、それぞれの立場から物事を語る。ゲーム側が「これが正解だ」と道を示すことはない。プレイヤーは相反する主張や異なる立場の言葉を突きつけられ、自分自身で善悪を、そして進むべき道を判断しなければならない。

単純な善悪で割り切れるゲームではない。
「自らが考え、行動すること」
それこそが、『ウルティマVI』が30年の時を経た今もなお、唯一無二の輝きを放ち続けている最大の魅力なのだ。
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